2019年12月の最新版は以下の通りです。
❖わたしの仕事は、「特1プロジェクトを持つ人」の「プロジェクトの成功」と、それに伴う「セルフ・プロデュース」を支えることです。
・「特1プロジェクト」とは、「優先順位という概念を超えた、フルコミットで取り組む、特別で最上のプロジェクト」のことです。言い換えると、「これに取り組まない自分を許さない」と思えるくらいの “My Own Project” です。(組織やチームのプロジェクトであっても、それを自分にとっても重要なプロジェクトだと思えるかどうかが鍵となります。)
・「セルフ・プロデュース」とは、「特1プロジェクトの成功というステージに向かう自分自身をプロデュースすること」です。プロデュースの手段としては「その人のタイプ・役割・能力を一致させる」ことになります。素の自分を活かしつつ、次の新しい自分にふさわしい思考や行動のパターンを準備し、整え、その人全体のプレゼンスをつくりあげます。これは、単にメンタルを丈夫にしてプレゼンスに反映させるというレベルではなく、「メンタリティ(世界観)と、その人の在りようの変容」を目指すものです。(簡単に言うと、長年使ってきたダメアプリを削除または圧縮して使わないようにし、その人の目的に合ったイケてるアプリを入れ、使い方をマスターする、というイメージです。)
・どちらも、未来を巻き取りながら、進行します。(これ、大事!)
❖「特1プロジェクトの成功」と「セルフ・プロデュース」の体現は両輪を為します。「セルフ・プロデュース」なしで「特1プロジェクトの成功」は難しく、またその逆もあり得ない(必要がないという意味)からです。
・「特1プロジェクト」は、多くの場合「もの・こと・場のプロデュース」とも関連します。(「場」については、「物理的な場(環境)」と「境地」という意味のふたつがあります。)
・さらに「特1プロジェクト」は、古い価値観の目には「道楽」のように映る場合があることも添えておきます。(これは、わたしの「成功」の定義が「やりたいことを、やりたいように、やり続けられる状態」であることと関係しています。人は半ば無意識であっても、自分の定義に影響されます。特に「幸せ」「成功」「仕事」「人生」などについては、自分なりの定義を持ち、それらを時々見直すことをおすすめしています。)
❖「特1プロジェクト」と「セルフ・プロデュース」の両輪をつなぎ、その人の全体を支えるための手段として、わたしは以下を提供します。
「その人自身の自発的かつ創造的行動と成果を促進させるための知見や技術、ツールをもったコミュニケーション。かつ、そのコミュニケーションを含んだ戦略的で継続的な構造」。
・クライアント(契約を交わした人)とわたしの間に存在するのは、「安心と勇気のリレーションシップ」です。必要に応じて、プッシュもプルもチアもします。
・また、わたしが提供するアイデアやインフォメーション、ナレッジについては、わたし自身を一種のクラウドと思ってもらえれば、わかりやすいと思います。(“Yuminium Cloud”と呼んでいます。)その人の未来に必要なものを早めに渡します。これが、未来を巻き取りながらの進行につながります。
❖わたしがそれを生業にするのは、「美しき眺め」をその人と一緒に見たい、そして味わいたいからです。
・「美しき眺め」の例としては、「他者と競うことなく、完全なる勝利を手にする」「至福の極みを体験する」「これが人生の目的だったのではないかと真に思い至る」などです。「特1プロジェクトの成功」と「セルフ・プロデュース」が両輪として体現できれば、それは間違いなく「美しき眺め」のひとつだと、わたしは思っているのです。(アスリートが稀に体験する「ゾーン」の境地に近いものだと思います。)
・そして、特に大切なこととして、「美しき眺め」を一緒に見に行くプロセスで「そうではない景色」が現れたとしても、わたしは「一緒に」それを見ます。「わたしが」「一緒に」「それを」「見る」のです。案じる必要はありません。「その景色には続きがあるから」です。
・わたしは「時空を切り開いて、次の場面をつくること」を、「スラッシュを切る」と呼んでいます。そして、身体性を以て「スラッシュを切る」ことをあきらめなければ、それは「切れる」のです。(と、言い切ります。)
・しびれるような景色を見に行く。その道中に、多少のリスクはあるかもしれませんが、それがどうかしましたか?です。退屈や窮屈に耐えるよりは、わたしなら、そちらを選びます。あなたはどうですか?