『ドリーム』:自分の試合?

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実話ベース。原題は『Hidden Figures』。
「隠された数字」とか「埋もれていた人材」「いない者とされていた人たち」というニュアンスが、なかなかいいタイトルに訳せなくて、当初は『私たちのアポロ計画』になっていたのを、ネットで猛反対を受け、『ドリーム』に変更になったという経緯があります。(監督に直接連絡する人もいたくらいです。)実際のところ、アポロ計画よりも前の話だから、そりゃいかんだろということですね。で、『ドリーム』に落ち着いたのですが、主人公たちは「夢」を見ていたわけではありません。リアルな目標に達成するための具体的なファイトをしていたのです。

タイトルと内容が違う…?
大ヒット映画の邦題「私たちのアポロ計画」に批判 配給会社に聞く

日本語タイトルやポスターのデザインの問題は、女性参政権獲得運動を描いた映画『未来を花束にして』のときにもあったことです。この映画の原題は『Suffragette(サフラジェット)』=「女性参政権獲得運動家」という意味だったのが、邦題ではふわっとしたものになってしまって…。(売れそうな、でも意味が揺るがないタイトルに訳すのは大変ですね。)

 

さて、『ドリーム』に戻ります。この映画の下敷きにあるのは、マーキュリー計画、1958~1963年のアメリカ初の有人宇宙飛行計画です。

1961年、アメリカはソ連との熾烈な宇宙開発競争のさなか。NASAのラングレー研究所には、ロケットの打ち上げに欠かせない「計算」を行う優秀な黒人女性たちのグループがありました。そのひとり、天才的な数学者キャサリンは宇宙特別研究本部のメンバーに配属されるも、そこは白人男性ばかりの職場だったのです。仲の良い同僚で、管理職への昇進を願うドロシーやエンジニアを目指すメアリーも、差別にキャリアアップを阻まれていました。それでも彼女たちは国家的な一大プロジェクトに関わるべく、自らの手で新たな扉を開いていくのです。

 

冒頭から小気味よい場面に気持ちを掴まれます。
衣装(ワンピースやツーピース)が素晴らしい!音楽もいい!
主役の3人はパワフルで美しい!

その分、差別される場面は、腹立たしいものに映ります。
黒人であること、そして女性であることによる差別です。

ただし何人か「話の分かる、いい白人」をわかりやすく用意してありました。
(これはこれで、また…。)

台詞としては、「前例なし?だから前例になるしかない」とか、
「偏見を持ってない」「知ってるわ、あなたがそう思い込んでるのは」など、
力のある言葉が印象的でした。

主人公たちの感情が想像できるエモーショナルな場面も数回あり、目が潤いました。
3人が理不尽と戦って勝ち得たものを見ていると高揚感があり、
自分も一緒に何かをなし遂げたような錯覚に陥ります。

しかーし、それは違うぞ、と思いました。
どんなに気分が高揚しようとも、
これは映画を観ているに過ぎないのだということを忘れてはいけないのです。

つまり、人は「自分の試合」をすべきだろう、ということです。

そこで、「さて、自分の試合とは?」というのが問いとして残ります。
宿題ですね。…宿題ですわ。

 

『地下鉄のザジ』と『ぼんぼん すふぃあ:カトリーヌ・ボンボンの内なる世界』

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原作は、1959年のレーモン・クノーの同タイトルの小説。(映画化は1960年。)

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ルイ・マル監督(1932 – 1995)ならではのセンスと演出の効いたコメディ。地下鉄に乗るのを楽しみに地方から出てきた10歳の少女ザジは、2日間パリに住む親戚のガブリエルおじさんに預けられる。ところが、お目当ての地下鉄に乗れないと知らされ、ザジはおじさんの元を抜け出し、パリの街へと繰り出す。

わたしの好きな映画に『地下鉄のザジ』があります。
いつ観ても主人公ザジの神出鬼没ぶりには心が躍ります。
映画の中のザジはまだ幼い少女ですが、
彼女の大人になった姿は、想像するだけで楽しくなります。
そう、ザジはわたしでもあるのです。

そう「あとがき」に書いた、わたしの本はこちらです。

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ザジを演じた「カトリーヌ・ドモンジョ」と拙著の「カトリーヌ・ボンボン」が同じ「カトリーヌ」という名前であることに、今、気がつきました!

カトリーヌ (Catherine, Catarine)は、フランス語圏の女性名。ギリシア語で「純粋」という意味を持つ「カタロス」(καθαρός, katharos)という言葉に由来する、とのこと。

ウィキペディアのカトリーヌ・ドモンジョの欄には、アニメの『ヤッターマン』の「ドロンジョ」のモデルとなっている、とあるのですが、それはどうかな?(「ドモンジョ」から「ドロンジョ」?)
ただし、「ドロンジョ=身長173cm」とあり、またしても長身!

「ザジ」と「ドロンジョ」を並べてみると、「何がどうなって、そういう仕上がりに?」という記事にも書いた、「奔放な小さい子」と「やり手の長身美女」のミックスに、わたしの根源的な志向があるのだと思いますね。これはもう隠しようがありません。

ちなみに「カトリーヌ・ボンボン」の身長は168cmで、まだこれから伸びるかも、という設定です。
ぜひ、こちらもお手に取ってご覧ください。

出版の経緯などは、こちらに書きました。
ぼんぼん すふぃあ:カトリーヌ・ボンボンの内なる世界
そのチラ見せも。

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Enjoy your life!

 

ジョナサン・ケイナーの「目的」に関する言葉

今も、時々この言葉を思い出します。
2011年秋の「ジョナサン・ケイナー(占星術師)」の言葉です。

彼のサイトはこちらです。
https://www.cainer.com/japan/

(ジョナサンが亡くなった現在、甥のオスカー・ケイナーが継いでいます。)

私たちは株を取引するために地球に送られてきたわけではありません。満足のいかない仕事をしたり、欲求不満の絶えない状況に取り組んだりするために、ここに来たわけでもありません。私たちは次のようなことをするために地球にやってきました。

1)すばらしい発見をする。
2)有意義な体験を誰かと共有する。
3)自分を感化してくれるものを見つけ、それに従う。
4) 創造性・愛・優しさを発揮し、幸せになる。

でも、私たちは上記の目的を忘れてしまうことがあります。自分の直面している状況に心を奪われ、
それらの目的を思い出させなくなることもあります。今、あなたは心配事を抱えているかもしれません。にもかかわらず、あなたの心を喜びで満たす体験は、あなたが思っているよりも近くにあります。

どんな言葉も、役立てようと思えば、役立てることができます。

そのつもりで「いいアンテナやセンサー」を持っていたいですね。

切に。

Enjoy your life!

『Things In Life』:信念

デニス・ブラウンの『Things In Life』。

ゆるくて、素敵。

歌詞のこの部分がいい。

It’s not everyday we’re gonna be the same way
There must be a change somehow
There are bad times and good times too
So have a little faith in what you do

私たちが毎日同じようになるわけではない
何とか変更が必要です
悪い時も良い時もある
あなたがしていることについて少し信念を持ってください

はい。

信念を…。

Enjoy your life!

 

『Betty Boo』という作品

ベティ・ブー が大好きで。
もしわたしがラジオ番組を持っていたら、今一度、流行らせたい曲たちです。

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カッコいい!

ファッションだけでなく、キャラクター全体のプロデュースが上手いということでしょうね。
素敵です!

Enjoy your life!

 

『BAGDAD CAFE – I’m Calling You 』:旅情と詩情で位置不明の天国的な場所

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映画の公開は1987年。
不思議な作品でした。

ラスヴェガス近郊の砂漠にたたずむ、さびれたモーテル「バグダッド・カフェ」。そこに現れたのは旅行中に夫と別れたばかりのドイツ人女性ジャスミン。家庭も仕事もうまくいかず、常に怒りモードの女主人ブレンダは、言葉も通じない珍客にストレスをつのらせるばかり。だが、いつしかジャスミンの存在は、この店をオアシスのように潤しはじめるのだった。

 
旅情と詩情で、今いる場所がわからなくなります。
しかし、なぜかそこは天国的な場所…。

この曲は、多くのアーティストがカヴァーしていますね。

 

 このアルバムも大好き!

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Enjoy your life!

 

『死ぬまでにしたい10のこと』:人生の残り時間

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原題は、『My Life Without Me』。

監督は、わたしの大好きなイザベル・コイシェ。(色使い、特にこの作品でも赤の使い方が独特です。)
主演は、サラ・ポーリー。(彼女も、他の作品で脚本を書いたり、監督をつとめています。)

舞台はカナダのバンクーバー。幼い娘2人と失業中の夫と共に暮らすアンは、ある日腹痛のために病院に運ばれ、検査を受ける。その結果、癌であることが分かり、23歳にして余命2ヶ月の宣告を受けてしまう。その事実を誰にも告げないことを決めたアンは、「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き出し、一つずつ実行してゆく。

ナレーションでは、主人公を指す代名詞に「you」が使われ、あたかも映画を見ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっています。
(ただし、日本語字幕では「私」と表示される。←このもどかしさよ。)

両方の卵巣に腫瘍、胃と肝臓にも転移。
“How long?”と、お医者さんに訊いて、「2~3ヶ月」と答えられたらねぇ…。
どうします?
主人公は「ずっと夢を見ていて、やっと目を覚ました気分」と言うのだけれど。

死ぬまでにしたい10のこと。
わたしは、10もないな…。
いつも通り仕事をして、部屋を片付けているうちに、その時が来てしまうように思います。
(誰かのために出来ることを考えると、到底10では足りませんが。)

ここで、記事をひとつ紹介します。
みんな気持ちが弱すぎる–元Appleシニアマネージャーが語った「僕が世界の一流と戦えた理由」

寿命1年、5年、10年のそれぞれで「やりたいことリスト」をつくる

まず、寿命が10年しかないと考えます。それで、10年間だったら何ができるか書いてみる。すると10年でやりたいことのリストできるじゃないですか。じゃあ実は10年ではなくて、5年だったら何ができるだろうって、そこからまた更に書いてみる。するとその2つは同じリストにならないんです。
10年ってけっこうまとまった時間だから、例えば家庭を持つ、会社を興す。それなりに大きいことができるじゃないですか。だけど5年って短いから全く違うリストになる。じゃあ寿命が1年だったら?で書いてみて、どのリストにもあがるものを真っ先にやる。

***

いい方法ですね。

人生の残り時間。これは、誰にもわかりません。
あと10年?20年?いや、5年?3年?

確かに人間の寿命は延びています。
また、過ぎた月日は短く感じますが、これからの年月は長く感じます。

五輪を目指す選手は、自分はどの大会に照準を当てて、
今この準備をしているのかを明確にしていますね。
現役選手としての時間に限りがあるからです。

「あなたは、どれくらいの残り時間だと思えば、
最もパフォーマンスが上がりますか?」

わたしは、「あと2年」と思うくらいが ちょうどいいと感じています。
(これを「気ぜわしい」と言う人もいます。)

自分に「執行猶予」を与えても、ただ先延ばしにするだけでしょう?
「あと10年経てば、今よりもましな自分になっているかもしれない」
と、根拠のない希望を抱いたりして。

でも、何もせずに「今よりもましな自分」になど、なるわけはないのです。
そこには、生物としての衰えもあるのですから。

で、どうしますか?という話ですね。

希望と絶望は、ほとんどの場合、セットだなぁと改めて思います。
適度な危機感も大切です。

 

『ドライヴ』:「覚悟」か「決断」か「本能」か

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天才的な運転技術を持つ寡黙なドライバー(ライアン・ゴズリング)は、昼間は映画のカースタントマン、夜は強盗の逃走を請け負う運転手。ある晩、仕事を終えたドライバーは、同じアパートに暮らすアイリーン(キャリー・マリガン)とエレベーターで乗り合わせ、恋に落ちる。次第に親しくなっていく2人だったが、ある日、アイリーンの夫スタンダード(オスカー・アイザック)が、服役を終え戻ってきた。

ひと言で言うと、「恋に殉死」がテーマでしょうか。
音楽も美しい。
とにかく、スタイリッシュで参ります。
「間」も、いちいち切なくて困ります。
そこにあるのは、「覚悟」か、「決断」か、「本能」か。

わたしにとって、いい映画は、お話の前後左右を想像させるものです。

描かれてない主人公の生い立ちや、
己れのスキルだけを頼りに生きる、その姿勢を獲得した経緯、
大切なもの以外は捨てるという方針。
それらにまつわるあれこれに対する想像と妄想。
また、このお話の別バージョンや、その続きなど。

原作も読みました。

映画とは時間の組み立てが違いました。

 

サントラも激しくいいです。
連れて行かれるので、要注意ではありますが。

「覚悟」か、「決断」か、「本能」か、です。

 

『キンキーブーツ』:「勇気・元気・覇気」の源


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イギリスの田舎町にある、実在する紳士靴メーカーの話を基に作られたミュージカル。代々、機能的で地味な男性用の靴を作ってきたプライス家は、今にも倒産しそう。父の跡を継いだ青年チャーリー・プライスは思いもよらない人物をコンサルタントとして迎え、意見を求める。ドラァグ・クイーンの考える、常識破りで大胆なデザインは、古い工場に新しい風を吹き込む。彼(彼女?)は調和するためには“際立つ”ことが大事だと言うのだ。

ビジネス再生の物語であると同時に、二組の「父と息子」の間にある葛藤、
ジェンダー・バイアスへの提議など、テーマがうまくミックスされています。

ドラァグ・クイーンによるショーの場面は、最高!
「性別より勇気でしょ?」というセリフも効きます。
挨拶で、「紳士、淑女の皆さま」の後、
「そして、まだどちらにするか迷っている皆さま…」と続くのもいい。

「勇気・元気・覇気」は自らの手で引っ張り出すものだなぁと、また改めて思います。

音楽が素敵なので、サントラも買いました。

“Yes Sir I Can Boogie”という曲がカッコいい。

 

…泣ける。

ドラァグ・クイーンを演じるキウェテル・イジョフォーは、
『それでも夜は明ける』(12 Years a Slave)でも主役として好演。

Enjoy your life!

 

『ラ・ラ・ランド』:夢と成功と幸せ

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夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ。いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる。
(タイトルは、ロサンゼルスと「現実から遊離した精神状態」を意味する、とのこと。 )

音楽はもちろんのこと、インテリアや衣装も素敵で素敵で素敵です。

全体的にカラフルで、60年代風の映像なのですが、
登場人物たちがスマートフォンを使っているから現代の話だとわかります。
そのことで逆に時代感がなく、ファンタジーのように見えます。

冬・春・夏・秋。
夢と成功と幸せのすれ違い。
でも、正解はわからない。

「あなたは夢を変えて、大人になった」という台詞もありましたが。

そして5年後の冬。
それぞれの夢、それぞれの成功、それぞれの幸せ。

初めて会ったときの曲で、もう一つの宇宙を見せる仕掛け。
(じんわりします。)
二人の夢と成功と幸せが一致する世界。

これはハリウッドが見せるべき夢だと思いました。
(お話として思い出したのは、藤沢周平の「蝉しぐれ」だったのですが。)

それにしても。
エマ・ストーンのお人形さんのようなスタイルの良さ。
そして、この映画を機にピアノを始めたらしいライアン・ゴズリングのミュージシャンぶり。
(二人とも、ダンスが上手すぎないのがいいのです!)

参考:グリフィス天文台

素晴らしいオープニング!

 

サントラもいい!

 
踊りましょう!

 

『You Raise Me Up』:勇気と励まし 

 

曲、そして歌唱の素晴らしさだけでなく、
この街角のシチュエーションがいい。

聴いている人たちの様子、表情、時に涙する姿。
わたしも目が潤いました。

誰かの行動が思いがけず、誰かの勇気や励ましとなる。
それはやはり「祝福」だと思います。

Enjoy your life!

 

『マルタのやさしい刺繍』:思い出した夢の実現

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『マルタのやさしい刺繍』は、おばあちゃんたちが主役。

スイスの小さな村に住む80歳のマルタは、
最愛の夫に先立たれ、沈む気持ちで毎日を過ごしていました。

ある日、彼女は忘れかけていた若かりし頃の夢、
「自分でデザインして刺繍をした、
ランジェリー・ショップをオープンさせること」

を思い出すのです。

しかし保守的な村では、彼女の夢は冷笑されるばかり。

それでも友人たちと共に、夢を現実にするために動き出します。
頑張るマルタと彼女を支える仲間たちの夢と希望の輪。
変化を恐れるのではなく、それをチャンスとし、
新しい一歩を踏み出すことで、勇気を形にしていくのです。

監督の伝えたいことが、とてもわかりやすく、過不足なしに伝わってきます。

夢を現実にしようとする際、年齢は関係ありません。
「やりますか?やりませんか?」というだけなのでしょう。

 

『知への賛歌―修道女フアナの手紙』:彼女の意志

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著者は、ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス[1651−1695]。
300年以上前のメキシコ女性です。
ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスとは、
「十字架の修道女、フアナ・イネス」を意味する宗教名。

詩人であり、スペイン・ハプスブルク帝国の末期、植民地に生まれた、
同時代のスペイン文学最大の作家。
現在、その肖像はメキシコの200ペソ紙幣で使われている。
(「アメリカ大陸初のフェミニスト」と言われているそう。)

17世紀末、本を読みたいがために、学問をしたいがために、作家になりたいがために、
戦略的に修道女になったという彼女が残したのは、詩と手紙。

社会の規範や道徳に抗議し、恋愛の機微や女性の生き方・権利、学問への希求、
彼女の思想などを文学に持ち込み、恐れなく明快に表現した。

168番に、「でも私が、まだましとして選ぶのは、好きでない人の、猛々しい女王となること、
私を好きでない人の、哀れな戦利品となるよりも。」
とあります。

美貌の人だったらしく、
いわゆる「トロフィーワイフ」のような立場への誘いもあったのかもしれません。

しかし、17歳で自ら修道女となり、43歳で亡くなるまで、
修道院から一歩も出ない生活を送るのですから、その「意志」たるや。

17世紀末のメキシコの抑圧的な社会というのが、
わたしの想像の手が届くものではないのは承知の上で…。

まだ映画にはなっていないようですが、
彼女の生涯を描いたドラマ(7回シリーズ)がありました。
『修道女フアナ・イネス』 | Netflix (ネットフリックス)オリジナル作品

観ますね。

 

『経験と教育』:門を通って、遥かな世界へ

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読みながら、「面倒くさい訳だなぁ、これはきっと原語がドイツ語に違いない」、
なんて思っていたのですが、アメリカ人だった…。あはは。

著者は、ジョン・デューイ

印象に残ったのは2カ所。

(p47)
……すべての経験は緑門(アーチ)、その門を通して、
未踏の世界が仄かに見え、その境界は、遠く彼方に消えゆく、
永遠に、永遠に、私が進みゆくにつれて。

アルフレッド・テニスンの詩「ユリシーズ」より

(引用元にあたるのは「対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉(岩波文庫)」かな。)

(p121)
教育者は他のどのような職業人よりも、
遠い将来を見定めることに関わっているのである。

(中略:医者や弁護士の仕事を例に出しています。)
教育者は、自分の仕事の性質そのものから、自分のしている現在の仕事を、
その目的に関連づけられている将来のために、何が成し遂げられるのか、
あるいは失敗するのは何かといった見地から見定めなければならないのである。

知る、識る、わかる、学ぶ、そして教育する、ということの途方もなさと、
勇気をもって、その道を進むこと、でしょうか。

 

『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』:ゴールのない恐ろしくも幸福な道

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何度も泣きながら読みました。
著者が「お茶」に出会って知った、発見と感動の体験記です。

したいことが見つからないまま焦り続けるより、
何か一つ、具体的なことを始めた方がいいのかもしれない。
そう思って、お茶を始めた著者。それから二十年余り。

五感で季節を味わう喜び、いま自分が生きている満足感、人生の時間の奥深さ…。
「生きてる」って、こういうことだったのか!という驚きが、そこにあります。

以下、引用します。

世の中には、「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の
二種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。
けれど、すぐにわからないものは、何度か行ったり来たりするうちに、
後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。
そして、わかるたびに自分自身が見ていたのは、
全体のほんの断片にすぎなかったことに気づく。
「お茶」ってそういうものなのだ。

そもそも、私たちは今まで何と競っていたのだろう?
学校もお茶も、目指しているのは人の成長だ。
けれど、一つ、大きくちがう。
それは、学校はいつも「他人」と比べ、
お茶は「きのうまでの自分」と比べることだった。

お茶は教えてくれる。
「長い目で、今を生きろ」と。

タイトルは、「日々すべからく好い日である」ように、の意。

「お稽古」を通して(結果的に)鍛えられる「在りよう」でしょうか。
それは、明らかにゴールのない「道」ですね。

…はい。

***

映画にもなりました。こちらもおすすめです。

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***

同じ著者の本についての記事、
『デジデリオ・ラビリンス』&『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って』
:あの頃のフィレンツェが目の前に立ち上がるから、それは…

もぜひご覧ください。

 

『ピエタ(大島真寿美)』:よりよく生きよ


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朗読したいくらいに音楽的な…。

帯には
「ほんとうに、ほんとうに、
わたしたちは、幸せな捨て子だった。」

とあります。

捨て子=「スカフェータ」と呼ばれる「赤ちゃんポスト」に置かれた人たち。

舞台は、18世紀のヴェネツィア。
ゴンドラが運んでいくのは、秘めた恋とかけがけのない友情。
生への限りない祝福に満ちた作品。

アントニオ・ヴィヴァルディ(1678年3月4日 – 1741年7月28日)は、
ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家でありヴァイオリニスト。
カトリック教会の司祭でもあった。

彼は、孤児を養育するピエタ慈善院で、
音楽的な才能に秀でた女性だけで構成される〈合奏・合唱の娘たち〉を指導していた。
(その建物は、現在はホテル「Hotel Metropole」になっているそう。)

史実を基に、女性たちの交流と絆を瑞々しく描きだした傑作です。

***

その頃、ヴィヴァルディ先生は、おいくつだったろう。二十代半ばくらいだろうか。音楽的評価はとうに高かったはずなのに、わたしたちがヴァイオリンの稽古をしている部屋にふらりと現れると、ヴァイオリンは楽しいかい? と気さくに訊いたのだった。

(中略)

ヴィヴァルディ先生の質問に、楽しいです、とわたしたちが生真面目に答えると、ヴィヴァルディ先生が、わかるよ、と言った。楽しいですっていう音が廊下に聞こえてたからね。きみたちはなかよしなんだね。

***

数十年後のある日、教え子のもとに、恩師の訃報が届く。
オーストリアのウィーンで没したのだ。

そして、ある一枚の楽譜の謎に導かれ、歴史的な物語の扉が開かれる。

最後の数ページは涙。
著者は、多分あの「時空を超える方法」を用いて、これを書いたのだと思う。

切に、映画化希望!

***

むすめたち、よりよく生きよ。
たましいの光、うつくしい光、天まで届け。

***

本の中に何度も出てくる“L’estro Armonico”とは、
ヴィヴァルディが作曲した全12曲からなる協奏曲集『調和の霊感』。

(画像をクリックすると、アマゾンのページに移行します。少しずつ試聴できます。)

バチカンにあるミケランジェロ(1475-1564)のピエタ像は1500年に完成したらしいから、
ヴィヴァルディ(1678-1741)は見ていただろうと想像する。

何度でも読みたい本のひとつです。

『神さまはハーレーに乗って―ある魂の寓話』:断して捨して離することの極意

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手元にあるのは、1999年の文庫の初版。
もう20年近く前ですね。

スピリチュアル、かつキリスト教の影響が見える本ですが、
主人公の女性が洋服をどんどん捨てていく場面は、
まさに「断して捨して離すること」の体現。
そして、それは「もの」だけではないのです。

「本当に欲しいものは、何か?」
「それは、本当に必要なものか?」

この二つの問いの重要なこと…。

「虚栄心を捨て、あるがままにあれ。結果は後からついてくる。」

はい。

現実から逃避し、過去に執着し、未来を憂い、右往左往する主人公の姿に、
わたしは自分を見ました。

でも、そんな「バニティ・ライフ」から脱却して「素の自分」へ。
「思考や行動のパターン」を変えていくトレーニングとその成果、です。

素晴らしい「ビフォー・アフター」がそこにあります。

 

『誕生色事典―「色の秘密」366日』:自分色の発見

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「なぜ、知っているの?」と思います。
根拠はわかりませんが、「人違いです!」みたいなことは書かれていないのです。
(もう何冊もいろんな人にプレゼントしてきましたが、皆そう言います。)

自分が思う自分を肯定されつつ、別のヒントも示唆されます。
それぞれの自分を確認し合うためにも役立てられる本です。

例えば、ドラえもんの誕生日は、(2112年の)9月3日。

ホリーグリーン(ヒイラギの葉のような濃いグリーン)
キーワード=知覚・優しさ・創意意欲
『ユートピアを夢見る文学青年』
すぐれた知覚と創意意欲を持ち、あらゆる分野において優秀なのですが、
突然のできごとに即座に対応することが苦手です。
また、陰謀をたくらむことなど、けっしてできない気質の持ち主です。
ホリーグリーンと相性のよい色はすべての色の明彩色、中間色、
向いている職業は作家や裁判官などです。

とあります。

もう一つサンプルを挙げましょう。わたしです。

4月1日 薄桜
キーワード=洗練・友人・ほほえみ
『幸せな雰囲気をつくり出すロマンチスト』
高い知性があり、洗練された精神を持つロマンチストです。
友人とは親密に交わり、生気のあるほほえみで周囲を幸せな雰囲気に包みます。
薄桜と相性のよい色は白とシルバーグレイ、
向いている職業は作家、文学の研究家や外交官などです。

この本には、各色を印刷するための「基本インクの割合」が、
マゼンダ、イエロー、シアン、ブラック、各何%、と表示されています。

あなたも自分色を確認してみませんか?

 

『弱くても勝てます~開成高校野球部のセオリー』:希望は知性から生まれる

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爆笑本。
ところどころイラッとして、かつ二度ほどグッと来る。
(何度読んでも、そうなのです。)

開成高校と言えば、まるで東大予備校のような合格率を誇る超進学校。
そこで野球をする人たちの、真面目なんだけど奇妙な感じ。

それを超える監督のおかしみ。
頭のいい人が、人とは違う形で頭脳を使うとこうなるのか、という見本です。

客観的に、正確に怒鳴る。その怒鳴り方が「芸」に近い。

『そのうちできるようになる』なんて思うな。今すぐできるようになれ!

(んな無茶な…。)

グラウンドを使えるのが週に1回、3時間程度。
あとは、自主的な朝練があるくらい。

そのような環境でありながら、
初代校長・高橋是清の「自分自身に固有の能力を進歩させる」
という教育理念の通り、各自が課題に取り組むのです。

その練習方法も独特で珍妙で…。
そもそも、練習を「実験と研究」と呼ぶのですよ。

監督によるポジション決めの基準も明快です。
・ピッチャー/投げ方が安定している。
・内野手/そこそこ投げ方が安定している。
・外野手/それ以外。

「どさくさにまぎれて勝つと」いう戦法も、
師いわく「ハイリスク・ハイリターンのギャンブル」。

目標を「甲子園」とするより、「強豪校を撃破する」としたほうが、との件は、
具体的に身体の動きを喚起するという意味で機能する素晴らしい目標設定です。

「希望は知性から生まれる」というのは真実だろうと思います。
「可能性」というものの正体に手を伸ばす感じです。

もはや「東大が六大学で優勝するより、開成が甲子園に出るほうが先になる可能性が高い」
とも言われているそうなので、 わたしも楽しみにしたいと思います。

「すべてが完璧でなくても、勝負には勝てる」。

アーティスティックスイミング(シンクロ)の井村雅代コーチの言葉も思い出します。

 

『シャネル 人生を語る』:激しく強く生きた人

(こちらは、獅子座の女シャネルの新訳だそう。)

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シャネル(1883.8.19 – 1971.1.10)という人、
そして、そのブランド名を知らない人はいないでしょう。

古いものに「NO!」と言い、世界がそれに同意したと言えば、大げさでしょうか。

自分の好きなものをつくるためではなかった。
何よりもまず、自分が嫌なものを流行遅れにするためだった。
わたしは才能を爆弾に使ったのだ。

NOのモチベーションの強いこと。
そして、それがGOの意志と一直線になったということですね。

しかし。
古いものを壊したはずのシャネルが、世界的企業となり、
ハイブランドとしての地位を築いて、早くも何十年かが経ちました。

さらに時を経て、新しい何かが現れる時、
わたしたちは、どんな反応を示すのでしょう。

本には、他にもシビレる言葉が、たくさんあります。

猫みたいに抱きかかえられるのも嫌い。
わたしは自分が歩いてきた道をまっすぐ行く。
たとえその道がうまくゆかなくても。

15年間の一時的な(と言っても長い)引退のあと、
70歳で復帰し、87歳で亡くなるまで猛烈に仕事を愛した人。

このブランドのすごいところは、今、彼女が生きていても、
しっかりOKを出すであろうものしか市場に出てこないところです。
このゆるぎなさが、ゆるぎない…。

彼女のライバルとも言われたエルザ・スキャパレリ
『ショッキング・ピンクを生んだ女』:スキャパレリはいかにして伝説のデザイナーになったか
という記事も、ぜひご覧ください。)

これは、シャネルの写真の中でもわたしが一番好きなものです。
(美しく、気高い。)

シャネル