『ドリーム』:自分の試合?

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実話ベース。原題は『Hidden Figures』。
「隠された数字」とか「埋もれていた人材」「いない者とされていた人たち」というニュアンスが、なかなかいいタイトルに訳せなくて、当初は『私たちのアポロ計画』になっていたのを、ネットで猛反対を受け、『ドリーム』に変更になったという経緯があります。(監督に直接連絡する人もいたくらいです。)実際のところ、アポロ計画よりも前の話だから、そりゃいかんだろということですね。で、『ドリーム』に落ち着いたのですが、主人公たちは「夢」を見ていたわけではありません。リアルな目標に達成するための具体的なファイトをしていたのです。

タイトルと内容が違う…?
大ヒット映画の邦題「私たちのアポロ計画」に批判 配給会社に聞く

日本語タイトルやポスターのデザインの問題は、女性参政権獲得運動を描いた映画『未来を花束にして』のときにもあったことです。この映画の原題は『Suffragette(サフラジェット)』=「女性参政権獲得運動家」という意味だったのが、邦題ではふわっとしたものになってしまって…。(売れそうな、でも意味が揺るがないタイトルに訳すのは大変ですね。)

 

さて、『ドリーム』に戻ります。この映画の下敷きにあるのは、マーキュリー計画、1958~1963年のアメリカ初の有人宇宙飛行計画です。

1961年、アメリカはソ連との熾烈な宇宙開発競争のさなか。NASAのラングレー研究所には、ロケットの打ち上げに欠かせない「計算」を行う優秀な黒人女性たちのグループがありました。そのひとり、天才的な数学者キャサリンは宇宙特別研究本部のメンバーに配属されるも、そこは白人男性ばかりの職場だったのです。仲の良い同僚で、管理職への昇進を願うドロシーやエンジニアを目指すメアリーも、差別にキャリアアップを阻まれていました。それでも彼女たちは国家的な一大プロジェクトに関わるべく、自らの手で新たな扉を開いていくのです。

 

冒頭から小気味よい場面に気持ちを掴まれます。
衣装(ワンピースやツーピース)が素晴らしい!音楽もいい!
主役の3人はパワフルで美しい!

その分、差別される場面は、腹立たしいものに映ります。
黒人であること、そして女性であることによる差別です。

ただし何人か「話の分かる、いい白人」をわかりやすく用意してありました。
(これはこれで、また…。)

台詞としては、「前例なし?だから前例になるしかない」とか、
「偏見を持ってない」「知ってるわ、あなたがそう思い込んでるのは」など、
力のある言葉が印象的でした。

主人公たちの感情が想像できるエモーショナルな場面も数回あり、目が潤いました。
3人が理不尽と戦って勝ち得たものを見ていると高揚感があり、
自分も一緒に何かをなし遂げたような錯覚に陥ります。

しかーし、それは違うぞ、と思いました。
どんなに気分が高揚しようとも、
これは映画を観ているに過ぎないのだということを忘れてはいけないのです。

つまり、人は「自分の試合」をすべきだろう、ということです。

そこで、「さて、自分の試合とは?」というのが問いとして残ります。
宿題ですね。…宿題ですわ。

 

『地下鉄のザジ』と『ぼんぼん すふぃあ:カトリーヌ・ボンボンの内なる世界』

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原作は、1959年のレーモン・クノーの同タイトルの小説。(映画化は1960年。)

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ルイ・マル監督(1932 – 1995)ならではのセンスと演出の効いたコメディ。地下鉄に乗るのを楽しみに地方から出てきた10歳の少女ザジは、2日間パリに住む親戚のガブリエルおじさんに預けられる。ところが、お目当ての地下鉄に乗れないと知らされ、ザジはおじさんの元を抜け出し、パリの街へと繰り出す。

わたしの好きな映画に『地下鉄のザジ』があります。
いつ観ても主人公ザジの神出鬼没ぶりには心が躍ります。
映画の中のザジはまだ幼い少女ですが、
彼女の大人になった姿は、想像するだけで楽しくなります。
そう、ザジはわたしでもあるのです。

そう「あとがき」に書いた、わたしの本はこちらです。

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ザジを演じた「カトリーヌ・ドモンジョ」と拙著の「カトリーヌ・ボンボン」が同じ「カトリーヌ」という名前であることに、今、気がつきました!

カトリーヌ (Catherine, Catarine)は、フランス語圏の女性名。ギリシア語で「純粋」という意味を持つ「カタロス」(καθαρός, katharos)という言葉に由来する、とのこと。

ウィキペディアのカトリーヌ・ドモンジョの欄には、アニメの『ヤッターマン』の「ドロンジョ」のモデルとなっている、とあるのですが、それはどうかな?(「ドモンジョ」から「ドロンジョ」?)
ただし、「ドロンジョ=身長173cm」とあり、またしても長身!

「ザジ」と「ドロンジョ」を並べてみると、「何がどうなって、そういう仕上がりに?」という記事にも書いた、「奔放な小さい子」と「やり手の長身美女」のミックスに、わたしの根源的な志向があるのだと思いますね。これはもう隠しようがありません。

ちなみに「カトリーヌ・ボンボン」の身長は168cmで、まだこれから伸びるかも、という設定です。
ぜひ、こちらもお手に取ってご覧ください。

出版の経緯などは、こちらに書きました。
ぼんぼん すふぃあ:カトリーヌ・ボンボンの内なる世界
そのチラ見せも。

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何がどうなって、そういう仕上がりに?

子どもの頃の憧れは「峰不二子」でした。
漠然と、大人になったら、こんな感じになれるのだろうと思っていました。
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ところが、そうはなりませんでした。現実は残酷です。

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『To-y(トーイ)』に出合った時には、二人の登場人物に魅かれました。
「加藤か志子(かとう かしこ)」さんと「山田二矢(ニヤ)」ちゃんです。
(調べたら、「か志子さん」って身長172㎝もあったんですね。)

今は、厚かましくも「ニヤちゃん」混じりの「か志子さん」にはなれたかも、
と思っています。(ほんま厚かましいな…。)

これ、別のキャラクターで言うと、
「アクビちゃん」混じりの「妖怪人間ベラ」ですね。
(調べたら、ベラは身長170㎝。←また身長かい!)

つまり、「奔放な小さい子」と「やり手の長身美女」のミックスです。

(昔のアニメなので、ご存じない方のために動画を置いておきます。)

それから、さらに何十年も経ち、今は、「猫村さん」も入ってきたなぁと感じています。
こちらは「猫」と「人間」のミックスですね。

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コミックスやアニメのキャラクターに自分に似た一滴を発見して、
何かを投影するっていうこと、少なからずあると思います。

それが自分のアイデンティティの一部を補強するという効果も、
まぁあるでしょうね…。

はい、確かにあります。

「奔放な小さい子」と「やり手の長身美女」、そして「猫人間」。
わたしじゃないですか!
(実は他にもあります…。)

皆さんはどうですか?
何がどうなって、そういう仕上がりになったのでしょうか?
そこにコミックスやアニメのキャラクターは影響しませんでしたか?

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』と『オマーラ』という女神、その続編

 

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サントラはもちろん、ドキュメンタリー映画としても素晴らしい。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」はバンド名でもあり、ブランド名でもあり。

その「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の歌姫オマーラ・ポルトゥオンド

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カッコいい…。

と振り返っていたら、「あれから18年」ということで、続編の公開です。

 

公式サイトはこちら
心して拝見したいです。

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『BAGDAD CAFE – I’m Calling You 』:旅情と詩情で位置不明の天国的な場所

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映画の公開は1987年。
不思議な作品でした。

ラスヴェガス近郊の砂漠にたたずむ、さびれたモーテル「バグダッド・カフェ」。そこに現れたのは旅行中に夫と別れたばかりのドイツ人女性ジャスミン。家庭も仕事もうまくいかず、常に怒りモードの女主人ブレンダは、言葉も通じない珍客にストレスをつのらせるばかり。だが、いつしかジャスミンの存在は、この店をオアシスのように潤しはじめるのだった。

 
旅情と詩情で、今いる場所がわからなくなります。
しかし、なぜかそこは天国的な場所…。

この曲は、多くのアーティストがカヴァーしていますね。

 

 このアルバムも大好き!

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『死ぬまでにしたい10のこと』:人生の残り時間

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原題は、『My Life Without Me』。

監督は、わたしの大好きなイザベル・コイシェ。(色使い、特にこの作品でも赤の使い方が独特です。)
主演は、サラ・ポーリー。(彼女も、他の作品で脚本を書いたり、監督をつとめています。)

舞台はカナダのバンクーバー。幼い娘2人と失業中の夫と共に暮らすアンは、ある日腹痛のために病院に運ばれ、検査を受ける。その結果、癌であることが分かり、23歳にして余命2ヶ月の宣告を受けてしまう。その事実を誰にも告げないことを決めたアンは、「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き出し、一つずつ実行してゆく。

ナレーションでは、主人公を指す代名詞に「you」が使われ、あたかも映画を見ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっています。
(ただし、日本語字幕では「私」と表示される。←このもどかしさよ。)

両方の卵巣に腫瘍、胃と肝臓にも転移。
“How long?”と、お医者さんに訊いて、「2~3ヶ月」と答えられたらねぇ…。
どうします?
主人公は「ずっと夢を見ていて、やっと目を覚ました気分」と言うのだけれど。

死ぬまでにしたい10のこと。
わたしは、10もないな…。
いつも通り仕事をして、部屋を片付けているうちに、その時が来てしまうように思います。
(誰かのために出来ることを考えると、到底10では足りませんが。)

ここで、記事をひとつ紹介します。
みんな気持ちが弱すぎる–元Appleシニアマネージャーが語った「僕が世界の一流と戦えた理由」

寿命1年、5年、10年のそれぞれで「やりたいことリスト」をつくる

まず、寿命が10年しかないと考えます。それで、10年間だったら何ができるか書いてみる。すると10年でやりたいことのリストできるじゃないですか。じゃあ実は10年ではなくて、5年だったら何ができるだろうって、そこからまた更に書いてみる。するとその2つは同じリストにならないんです。
10年ってけっこうまとまった時間だから、例えば家庭を持つ、会社を興す。それなりに大きいことができるじゃないですか。だけど5年って短いから全く違うリストになる。じゃあ寿命が1年だったら?で書いてみて、どのリストにもあがるものを真っ先にやる。

***

いい方法ですね。

人生の残り時間。これは、誰にもわかりません。
あと10年?20年?いや、5年?3年?

確かに人間の寿命は延びています。
また、過ぎた月日は短く感じますが、これからの年月は長く感じます。

五輪を目指す選手は、自分はどの大会に照準を当てて、
今この準備をしているのかを明確にしていますね。
現役選手としての時間に限りがあるからです。

「あなたは、どれくらいの残り時間だと思えば、
最もパフォーマンスが上がりますか?」

わたしは、「あと2年」と思うくらいが ちょうどいいと感じています。
(これを「気ぜわしい」と言う人もいます。)

自分に「執行猶予」を与えても、ただ先延ばしにするだけでしょう?
「あと10年経てば、今よりもましな自分になっているかもしれない」
と、根拠のない希望を抱いたりして。

でも、何もせずに「今よりもましな自分」になど、なるわけはないのです。
そこには、生物としての衰えもあるのですから。

で、どうしますか?という話ですね。

希望と絶望は、ほとんどの場合、セットだなぁと改めて思います。
適度な危機感も大切です。

 

『ドライヴ』:「覚悟」か「決断」か「本能」か

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天才的な運転技術を持つ寡黙なドライバー(ライアン・ゴズリング)は、昼間は映画のカースタントマン、夜は強盗の逃走を請け負う運転手。ある晩、仕事を終えたドライバーは、同じアパートに暮らすアイリーン(キャリー・マリガン)とエレベーターで乗り合わせ、恋に落ちる。次第に親しくなっていく2人だったが、ある日、アイリーンの夫スタンダード(オスカー・アイザック)が、服役を終え戻ってきた。

ひと言で言うと、「恋に殉死」がテーマでしょうか。
音楽も美しい。
とにかく、スタイリッシュで参ります。
「間」も、いちいち切なくて困ります。
そこにあるのは、「覚悟」か、「決断」か、「本能」か。

わたしにとって、いい映画は、お話の前後左右を想像させるものです。

描かれてない主人公の生い立ちや、
己れのスキルだけを頼りに生きる、その姿勢を獲得した経緯、
大切なもの以外は捨てるという方針。
それらにまつわるあれこれに対する想像と妄想。
また、このお話の別バージョンや、その続きなど。

原作も読みました。

映画とは時間の組み立てが違いました。

 

サントラも激しくいいです。
連れて行かれるので、要注意ではありますが。

「覚悟」か、「決断」か、「本能」か、です。

 

『キンキーブーツ』:「勇気・元気・覇気」の源


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イギリスの田舎町にある、実在する紳士靴メーカーの話を基に作られたミュージカル。代々、機能的で地味な男性用の靴を作ってきたプライス家は、今にも倒産しそう。父の跡を継いだ青年チャーリー・プライスは思いもよらない人物をコンサルタントとして迎え、意見を求める。ドラァグ・クイーンの考える、常識破りで大胆なデザインは、古い工場に新しい風を吹き込む。彼(彼女?)は調和するためには“際立つ”ことが大事だと言うのだ。

ビジネス再生の物語であると同時に、二組の「父と息子」の間にある葛藤、
ジェンダー・バイアスへの提議など、テーマがうまくミックスされています。

ドラァグ・クイーンによるショーの場面は、最高!
「性別より勇気でしょ?」というセリフも効きます。
挨拶で、「紳士、淑女の皆さま」の後、
「そして、まだどちらにするか迷っている皆さま…」と続くのもいい。

「勇気・元気・覇気」は自らの手で引っ張り出すものだなぁと、また改めて思います。

音楽が素敵なので、サントラも買いました。

“Yes Sir I Can Boogie”という曲がカッコいい。

 

…泣ける。

ドラァグ・クイーンを演じるキウェテル・イジョフォーは、
『それでも夜は明ける』(12 Years a Slave)でも主役として好演。

Enjoy your life!

 

『ラ・ラ・ランド』:夢と成功と幸せ

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夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ。いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる。
(タイトルは、ロサンゼルスと「現実から遊離した精神状態」を意味する、とのこと。 )

音楽はもちろんのこと、インテリアや衣装も素敵で素敵で素敵です。

全体的にカラフルで、60年代風の映像なのですが、
登場人物たちがスマートフォンを使っているから現代の話だとわかります。
そのことで逆に時代感がなく、ファンタジーのように見えます。

冬・春・夏・秋。
夢と成功と幸せのすれ違い。
でも、正解はわからない。

「あなたは夢を変えて、大人になった」という台詞もありましたが。

そして5年後の冬。
それぞれの夢、それぞれの成功、それぞれの幸せ。

初めて会ったときの曲で、もう一つの宇宙を見せる仕掛け。
(じんわりします。)
二人の夢と成功と幸せが一致する世界。

これはハリウッドが見せるべき夢だと思いました。
(お話として思い出したのは、藤沢周平の「蝉しぐれ」だったのですが。)

それにしても。
エマ・ストーンのお人形さんのようなスタイルの良さ。
そして、この映画を機にピアノを始めたらしいライアン・ゴズリングのミュージシャンぶり。
(二人とも、ダンスが上手すぎないのがいいのです!)

参考:グリフィス天文台

素晴らしいオープニング!

 

サントラもいい!

 
踊りましょう!

 

『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』:明日は風が…

1892年シカゴ生まれ。
低賃金の肉体労働で日々の糧を得ながら生き、1973年に81歳で亡くなった、
身寄りのないヘンリー・ダーガー

60年以上にわたり、誰にも知られることなく、
15000ページを超える原稿と300枚もの挿絵を創り続けた彼のドキュメンタリーです。

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作品は、もう一大叙事詩です。
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』よりも長いのです。)

彼は、世界で最も長いとされる、
この壮大な絵物語『非現実の王国で(In The Realms of the Unreal)』を、
誰に見せるでもなく、死の直前まで創作し続けました。

(正式には『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、
子ども奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』というタイトルだそう。
タイトルも長い…。)

 
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天真爛漫さと残虐性が同居する奇妙なお話です。

彼のパラノイア的な活動に思い出したのは、
フランスの郵便配達人フェルディナン・シュヴァルの「シュヴァルの理想宮」。
(参考:アウトサイダー・アート

ドキュメンタリー映像の最後に、彼は気分を聞かれるといつもこう答えた、とあります。

「明日は風がやむかもしれません。」

うむ。
やむかも、しれません、ね…。

彼の一生が幸せだったかどうかは、誰にもわかりませんが、想像だけはしてみます。
そして、自分の想像力の届かなさに俯きます。

***

 

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この2冊の表紙に使われているのが、彼の作品です。
(ゴッホにも思うことですが、ヘンリー・ダーガーの懐にもお金をねじ込むシステムが欲しいですね。)

 

『ガタカ』:自分で自分をつくっていくこと

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舞台は、遺伝子操作で生まれた“適正者”だけが優遇される近未来。
人種差別の代わりに科学が差別の道具になり、階層化される社会です。

自然出産で生まれ、劣性遺伝子を持つ人間は“不適正者”として差別されます。
そんな不適正者の一人である主人公は、宇宙飛行士になる夢を抱いて家族のもとを飛び出すのですが…。

「僕に何ができるか決めつけるな!」と訳された台詞がありました。

遺伝子によって差別される社会であっても、努力の可能性は決して否定しないよ、という作品です。

環境や過去の経験のせいにして、あきらめたり、逃げたり、人に責任を転化したり、というのは、
おそらくとても簡単なことです。
でも、それで悔いが残らないのか?と自分に問えば、何が見えるでしょうか…。

18歳以上にもなれば、ある程度、自分で自分をつくっていくことはできます。
そのためには、どういう自分でいたいのかを、明らかにする必要がありますね。

 

『ローラーガールズ・ダイアリー(Whip It)』:恋は副産物

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『ローラーガールズ・ダイアリー(Whip It)』は、
幼い頃から女優として仕事をしているドリュー・バリモアの初監督作品。

彼女自身も出演しているのですが、作品の早い時間帯で
顔面鼻血だらけになっているシーンに、とても好感が持てました。

主演のエレン・ペイジも素晴らしく、
感情その他を「歩き方」で表現するのが、本当に上手いのです。

主人公の選択、そこでの新たな努力、いわゆる「ガッツ」を見せるお話というのは、
観ているほうも、やる気が出ます。

恋は、その副産物だというのも、よくわかると思います。

 

『マルタのやさしい刺繍』:思い出した夢の実現

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『マルタのやさしい刺繍』は、おばあちゃんたちが主役。

スイスの小さな村に住む80歳のマルタは、
最愛の夫に先立たれ、沈む気持ちで毎日を過ごしていました。

ある日、彼女は忘れかけていた若かりし頃の夢、
「自分でデザインして刺繍をした、
ランジェリー・ショップをオープンさせること」

を思い出すのです。

しかし保守的な村では、彼女の夢は冷笑されるばかり。

それでも友人たちと共に、夢を現実にするために動き出します。
頑張るマルタと彼女を支える仲間たちの夢と希望の輪。
変化を恐れるのではなく、それをチャンスとし、
新しい一歩を踏み出すことで、勇気を形にしていくのです。

監督の伝えたいことが、とてもわかりやすく、過不足なしに伝わってきます。

夢を現実にしようとする際、年齢は関係ありません。
「やりますか?やりませんか?」というだけなのでしょう。

 

『バクマン。』:疾走感の価値

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完全に「アスリートもの」。
競技:漫画。
種目:少年ジャンプ。

「友情」「努力」「勝利」、そして「恋」。
目指せ、ジャンプの頂点。
全20巻、累計1500万部を超える大ヒットコミックの映画化。

主演は、佐藤健と神木隆之介。
ライバルの天才漫画家に、染谷将太。
ヒロインは、 小松菜奈。(唯一の女性の登場人物。)
ライバルでありながら、友情を示す漫画家の一人として桐谷健太。

漫画家だった叔父(または伯父)に、宮藤官九郎。
編集者に、 山田孝之。
編集長に、 リリー・フランキー。
(この3人は「大人」の役。)

真城最高(サイコー)と、高木秋人(シュージン)。
主人公たちの名前がいい。
汗の代わりにインクにまみれた顔も。

ひとつセリフを挙げるとするなら、
「天才じゃない俺たちは邪道で勝負するんだ。それが俺たちの博打だろ」。

なんたる疾走感の価値!

わたしが最後まで速度を上げずに観た、珍しい映画です。
(そんなん100本に1本もありません。)

(もうオカノさんは、この映画だけ繰り返し観てればいいと思ったよ。)

全20巻セット。(これは、読んでません。)

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『オーシャンズ』シリーズに見るチームワークの極意

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ジョージ・クルーニーやブラッド・ピットなど、多くの人気俳優が出演するシリーズ。
わたしは特に2作目の『オーシャンズ12』が好きです。

この映画を観て、気づいたことがあります。
個人として、チームとして、学ぶことが幾つもあるのです。

まず、チームに属する各人が超プロフェッショナルであること。
これは、難しいミッションの実現にあたり、最低条件と言えるでしょう。
(ミッションには、当然、全員が合意&同意で、まったくブレはありません。)

その上での柔軟なチームワーク。
ライバルの台頭や不測の事態で、作戦変更は余儀なくされます。
が、そこでの臨機応変ぶりが見事なのです!

なぜ、そういうことが可能なのか?
それは、彼らが絶対の絶対の絶対に、あきらめないからです。
なぜ、あきらめないのか?
あきらめないと、決めているからですね。

選択肢は、もうないと思ったところから生まれる、
もうないと思った瞬間から自分たちで生み出すのだということを、強く思い出させます。

しかも、どんなにピンチであっても、
どこかひょうひょうとして、楽しんでいる感じが漂っているのです。
チャーミングな仕事ぶりって、こんな感じなのかしら?

そして。
「もし、ジョージ・クルーニーが、女性だったら?」と、わたしは考えます。
ここは、想像力の出番ですね。役柄とは言え、あの、ややもするとテキトーな感じ。
見習いたいモデルのひとつです。

と思っていたら、来ました!女性版!!

出演は、サンドラ・ブロック、ケイト・ブランシェット、リアーナ、ヘレナ・ボナム・カーター、アン・ハサウェイ、ミンディ・カリング、サラ・ポールソン、オークワフィナ。

サンドラ・ブロックは、ジョージ・クルーニーが演じたダニー・オーシャンの妹という役柄。

観ます!観ます!(興奮気味…。)

 

『プラダを着た悪魔』とその後のお話

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アン・ハサウェイが着るグリーンのコートが、とても素敵だった…。

『プラダを着た悪魔』は、キャリア」について考えさせる、いい映画です。

わたしは、この作品をアン・ハサウェイが演じるアシスタントの立場でしか観られない人とは、
一緒に仕事ができないなぁと思っています。

メリル・ストリープが演じる編集長の姿が、単に「怖い人」としか映らないのであれば、
それは、あまりにも “small world” です。

ぜひ、あの上司の目線でも、この映画の世界を観てもらいたいのです。
彼女がどんな風に責任のある大きな仕事に立ち向かっているのか…。

 

経営責任者と従業員の視点・視座・視界は違います。
経営責任者は従業員の見ている世界を想像できるでしょう(できないとまずい)が、
その逆は難しいのかもしれませんね。

でも、その想像力不足が自らの可能性にも制限をかけるものだとしたら?

メリル・ストリープの抑制の効いた演技は、とてもクールで、
部下に指示を与える際の “That’s all.” というセリフなどは、真似たいほど。

一生懸命に働く先輩アシスタントが、“I love my job!” と言っていたのも心に残ります。

この映画を観た後は、いつもよりお洒落をして、バリバリ働きたくなる、
そんな効果もある作品です。

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原作の著者ローレン・ワイズバーガーは、
その先輩アシスタントのエミリー・チャールトン(エミリー・ブラントが演じた役)の10年後を
描いた作品『The Wives』を上梓したばかり。

夫とともに郊外に引っ越したエミリーは、
今度はセレブリティのダメージ・コントロール専門家として働くそう。

これも映画になるのかな?楽しみです!

 

『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』:ゴールのない恐ろしくも幸福な道

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何度も泣きながら読みました。
著者が「お茶」に出会って知った、発見と感動の体験記です。

したいことが見つからないまま焦り続けるより、
何か一つ、具体的なことを始めた方がいいのかもしれない。
そう思って、お茶を始めた著者。それから二十年余り。

五感で季節を味わう喜び、いま自分が生きている満足感、人生の時間の奥深さ…。
「生きてる」って、こういうことだったのか!という驚きが、そこにあります。

以下、引用します。

世の中には、「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の
二種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。
けれど、すぐにわからないものは、何度か行ったり来たりするうちに、
後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。
そして、わかるたびに自分自身が見ていたのは、
全体のほんの断片にすぎなかったことに気づく。
「お茶」ってそういうものなのだ。

そもそも、私たちは今まで何と競っていたのだろう?
学校もお茶も、目指しているのは人の成長だ。
けれど、一つ、大きくちがう。
それは、学校はいつも「他人」と比べ、
お茶は「きのうまでの自分」と比べることだった。

お茶は教えてくれる。
「長い目で、今を生きろ」と。

タイトルは、「日々すべからく好い日である」ように、の意。

「お稽古」を通して(結果的に)鍛えられる「在りよう」でしょうか。
それは、明らかにゴールのない「道」ですね。

…はい。

***

映画にもなりました。こちらもおすすめです。

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***

同じ著者の本についての記事、
『デジデリオ・ラビリンス』&『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って』
:あの頃のフィレンツェが目の前に立ち上がるから、それは…

もぜひご覧ください。